エベレストで死亡の栗城史多さん 「無謀を美談にしてはいけない」と批判の声も
登山家の栗城史多さんが21日朝、エベレスト下山中に遺体で発見された。8度目の挑戦に応援の声が相次いでいたが、悲劇の結果となってしまった。
栗城さんの訃報には数々の悲しみの声が寄せられたが、一方で批判的な意見も寄せられている。
■「まっすぐな生き方」に共感
「冒険の共有」としてインターネットで登山の様子を配信していた栗城さん。何度失敗しても目標に対して一生懸命に取り組む姿が共感を呼び、多くの人から「勇気をもらえた」「私も頑張りたい」など、栗城さんに勇気づけられたとのコメントが寄せられていた。
栗城さんといえば、2012年には「無酸素単独」でエベレスト西稜からの登頂中、手の指9本の大部分を失ったことも有名だ。賛否両論が相次いだものの、それでもなお前向きに登山と向き合う姿が、さらなる応援の声を呼んだのは間違いない。
訃報を受け、ネット上では「まっすぐな生き方、背中を押される言葉、本当にありがとうございました。私も、がんばります」「栗城さん、あなたのいつでも挑戦し続けるマインドにいつもいつもいつもいつも支えられていました。 本当にお疲れ様でした!! 挑戦し続ける大切さ、厳しさ、楽しさを教えてくれて本当にありがとう!」と栗城さんに感謝を伝える声が数多く見受けられた。
■「99.999%死にます。それでも応援できますか」
今回8度目となるエベレスト挑戦だが、最難関と言われる南西壁ルートから挑んでいた。栗城さんの実績から考えれば、このルート選択は無謀と指摘する声もある。
登山ライターである森山憲一氏は、2017年6月9日に自身のブログで
「ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの
(中略)
このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか」
さらに、「最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う」と警鐘を鳴らしていた。
■「美談にしてはいけない」
栗城さんの「チャレンジ」は多くの人から共感を呼び、スポンサーからのバックアップも受けていた。登山がある種のショービジネスと化していた部分はあるだろう。人々の期待が高まるにつれ、栗城さんに多大なプレッシャーがかかっていたのではないかの懸念する声もある。
先述の無謀ともいえるルート選択や、栗城さんの死去を「美談」かのように扱う風潮に疑問を呈する声も見受けられた。
栗城史多さんの「挑戦」に勇気を貰ったと言っている人たちは、たぶん栗城さんの死までを含めてひとつの「勇気をくれるエンタメ」として消費したんだろうな。カイジの鉄骨渡りを鑑賞してるようなもの。
— 汎世界 (@han_sekai) May 21, 2018
栗城史多さん遭難死の一報を聞いて、結局そうなったか…と思い、彼をかわいそうに感じている。彼の「冒険」に忠告できる友人、仲間が周りにいなかったのか。冒険より「現実」を共有してもらいたかった。彼のことはあえて無関心でいたが、この訃報はショックだった。これを美談にしてはいけないと思う。
— duckhouse_jp (@duckhouse_jp) May 21, 2018
死者に鞭打つなというけれど、だからといって美談にするのも違うぞ。栗城史多の件。感動「したい」人間にとって違うのだろうけど。
能天気に冬山の富士山登った写真あげる「だけ」の本人にも激しい違和感あるぞオレは。— nozo (@yokonozo) May 21, 2018
多くの人に勇気を与え、そして一方で物議を醸し続けた栗城さんの冒険。訃報に対して何を思うのかは個人の自由だが、失敗という現実を受け入れる必要があるのはたしかだろう。