音喜多駿前都議に独占インタビュー 「徹底した情報公開で既得権を打破したい」
まもなく始まる参院選で東京選挙区から音喜多駿・前都議が日本維新の会・公認で出馬する。
音喜多氏といえば勢いあった頃の「都民ファーストの会」の代表的なメンバーだったが、後に、小池百合子知事の独断専行とブラックボックス的な政治を批判して離党した。都政を語れる政治家としてメディアにも多数出演。昨年には地域政党「あたらしい党」を結党した。
今回、筆者は音喜多前都議に独占インタビューした。
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———ルイヴィトングループ勤務から政治家になった理由は何ですか?
音喜多:もともと、若者や女性が活躍する社会を創るため、学生時代から政治家になりたいと思っていました。そこで、女性が実際に意思決定権をもっている、女性主体の組織で働きたいという思いから、ブランド品や化粧品の業界に就職活動をしていたんです。
ご縁があってルイヴィトングループから内定をいただき、7年間営業やマーケティング業務に従事していました。
民間企業でのビジネスは非常に充実していて、正直「政治家になる」という思いが薄れていた時期もあったのですが、そんな中、東日本大震災が発生し、私は被災地支援活動に尽力することになります。
被災地支援を続ける中で、優柔不断な政治や縦割り行政の理不尽さに何度も直面し、それに憤る被災者の方ともたくさん会いました。今変えないとこの国はどんどん悪くなってしまう、すぐにやらないと後悔する、と強く思い立ち、29歳で政治家になることを決意しました。
■都議会で情報公開を徹底できた
———都議会時代はどのような実績をあげましたか?
音喜多:6年間都議として活動しましたが、まずは情報公開を一丁目一番地として、古い都政を変える改革に挑戦してきました。
高額海外視察を端緒とする舛添問題、そして「都議会のドン」と呼ばれる都政のブラックボックスに対峙し、テレビで、ラジオで、インターネットで、徹底した情報公開を武器に闘いました。
結果として、すべてではなかったかもしれませんが、都民の皆様が知らなかった、知るべきなのに知ることができなかった情報をお伝えすることができたと自負しております。
そして改革の機運を作り出し、私がいた6年間で閉鎖的だった都議会の空気は大きく変わりました。また、インターネットを中心にこれまで政治に関心のなかった若い人たちに、政治を知るきっかけを作ってきたと思っております。
現に、現在の選挙ボランティアは私のブログやツイッターを見て参加を決めた、20代、30代の若者がほとんどです。