東京メトロ「声の人」森谷真弓 メディアに出なかったワケと「吹っ切れたきっかけ」とは
フリーアナウンサーの森谷真弓(もりやまゆみ)さん。…と名前だけ聞いても知っている人は少ないかもしれない。営団地下鉄から「東京メトロ」に変わった2004年から現在まで車内アナウンス(日本語担当)を務めている「メトロの声の人」なのだ。
これがきっかけで、その他の鉄道も数多く担当している。
「東京メトロ 全線/ゆりかもめ/横浜市営地下鉄(ブルーライン)/仙台市地下鉄 全線(東西線・南北線)/埼玉高速鉄道/京成鉄道(スカイライナー)/北総鉄道/四国旅客鉄道」
通勤通学で無意識に毎日聞いている人、旅行で乗車した路線で…と一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。
これまでメディアへの露出を控えていた森谷さん。2016年にある番組への出演をきっかけにメディアや人前に出ることへの考え方が一変したとか。なにが彼女を変えたのだろうか。
しらべぇ取材班は、「東京メトロ」アナウンス当初の話から、今後の活動、展望について話を聞いた。
■「東京メトロ」アナウンス、15年目
東京メトロ設立の2004年よりアナウンスを担当し、今年で15年目を迎える。
当初は、「およそ5000名の応募の中から選ばれた、アナウンス学院の学生」としか公表されていなかったが…そもそも、「メトロの声の人」になるまでのいきさつは、どのようなものだったのだろう。15年前を振り返ってもらった。
森谷:応募当時は、ラジオの専門学校に通う学生でした。学校に求人がきていたようで、先生の指示でクラスの生徒全員が応募しました。
デモテープを送ってからしばらくしても連絡がなかったので、「ダメだったんだな」と忘れかけている時…応募してから半年後くらいに面接の連絡がありました。
面接の合否も、面接を受けてから半年後くらい。学校の卒業間際に「決まりました」って連絡がきまして。それから収録するまでも結構な時間があったので「本当に私なのか?」って不安になっていましたね。そして収録するときには、学校は卒業していました(笑)。
■収録は、怒涛の一週間
およそ一年間の不安な時間を経て、ようやくアナウンスの収録がはじまったというが、朝から夜までスタジオに缶詰め状態で怒涛の一週間を過ごしたようだ。
森谷:学校を卒業したばかりなので、大きな仕事ははじめてだし、ブースの向こう側には「東京メトロ」の方たちがに並んでいるし(笑)。
イントネーションも「絶対、これは使わないでしょ!」っていうものも含めて、原稿が広辞苑みたいな分厚さで、戸惑いながらものすごい量のパターンを録りました。
緊急停止の時や災害時のお知らせ、乗車している方は聞くことがないと思いますが、車庫に入ってからの点検作業のアナウンスの「次は〇〇ランプを点検します」というのも録るんです。収録の一週間は過呼吸になっちゃうほど大変で、ほとんど記憶にないくらい(笑)。