彡(^)(^)「明和の大津波ってなんやねん、東日本以下やろ!w」
彡(●)(●)「…」
明和の大津波
1771年(明和8年)4月24日、石垣島の東南東の沖合40kmで推定マグニチュード7.4の地震が発生。地震自体による被害は少なかったものの、地震発生直後東方からの轟音が響き間もなく石垣島の広い地域に津波が押し寄せた。中でも白保、宮良では最大遡上高が30mにまで及んだ。この津波により発生前の石垣島の人口約17,000人の実に48%にあたる8,439人が死亡または行方不明となった。周辺の島々にも津波の被害が及び、八重山群島全体で犠牲者は約12,000人にも上った。
またこの津波による塩害やマラリアなどの疫病も発生。以降、石垣島はその先80年に渡る飢饉に悩まされた。