宮崎駿が38歳で監督デビューした時の鬼畜エピソードクソワロタwwwwwwww
大塚っていうパヤオの先輩が映画版ルパンの監督をやることになったんだが
鈴木清順の書いた脚本がゴミ過ぎて大塚がパヤオに「監督なんかやりたくねえよ」と電話した
そしたらパヤオが「じゃあオレがかわりにやるわ」と立候補
パヤオはその日のうちに手伝っていた高畑の赤毛のアンの仕事を辞職(メインスタッフなのに)して(高畑は激怒)会社も辞めて大塚のスタジオに移籍した つづく
大塚のスタジオに移籍してくるときにパヤオは丹内司っていうのちにラピュタの作画監督をやる若手のアニメーターも引き抜いてきた
電話の翌日からパヤオは大塚のテレコムってスタジオに来て
勝手に自分の机を作って鈴木清順の脚本を読みもせずゴミ箱に捨て
ものすごい勢いでカリオストロの城のイメージボード(水彩画)を描き出した つづく