旅行ジャーナリスト・兼高かおるさんが死去 「子供の頃『世界の旅』をよく見ていた」と哀悼の声
旅行ジャーナリストの兼高かおるさん(90)が5日、心不全のため東京都港区で死去。葬儀・告別式は近親者で行われた。
■地球を180周した番組『兼高かおる世界の旅』
1959年から1990年まで約30年もの間、日曜日の朝に放送されていた『兼高かおる世界の旅』(TBS系)。開始当初はまだ日本人の海外渡航や外貨持ち出しの制限がある時代だったため、海外紀行番組の原点と言われている。
番組では、世界各地160か国を取材した映像を放送。兼高さんはレポーターだけでなくナレーター、プロデューサー兼ディレクター時々カメラマンと1人で多くの役割を果たした。全行程は721万kmに達しており、この距離は地球を大体180周できる計算になる。
■初めて南極点に達した女性の1人
番組では、ナレーターを始め様々な役割を果たした兼高さんだが、本職はジャーナリストで日本旅行作家協会名誉会長も務めていた。80歳を超えても世界各国を飛び回って取材していたことでも有名である。
そんな彼女は世界で1番最初に南極点に達した女性の1人だ。1970年頃は女性は南極に行く許可が下りなかった。1971年にようやく許可が下り、南極点に到達。
最初の女性の1人という微妙な表現なのは、到達時に南米の女性が同行していたから。その時は「どちらが一番とかナシにしよう」と話し合って同時に南極点のポールにタッチしたようだ。
そのほかにも、空港会社が行った「世界早回り」で73時間9分35秒の当時の世界新記録を打ち立てるなど、様々な活躍をした。
■「毎週楽しみにしていた」
『兼高かおる世界の旅』は30年近く昔の番組だが、「毎週楽しみにしていた」の声が相次いでいる。
「わたしの海外旅行の原点は、兼高かおるさんであることは間違いない…。番組が毎週楽しみだったな」
「『兼高かおる世界の旅』毎週観てたなあ。聡明で品があって、あこがれだった」
「兼高かおるさん。天国へ旅立ってしまわれたのね。ご冥福をお祈りするとともに、新しい旅の始まりのお見送りをいたします」
アクティブなジャーナリストとしてだけでなく旅番組でも活躍していた兼高さん。冥福を祈りたい。